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天然物化学の潮流 ― 分け入っても分け入っても青い山


                                     長田 裕之
                             静岡県立大学薬学部特任教授,
                    理研環境資源科学研究センターユニットリーダー

要旨

 「日本における天然物化学の源流は、薬学の長井長義、農芸化学の鈴木梅太郎、合成化学の眞島利行らに遡及できる。その後、学部の枠を超えて、天然有機化合物討論会が作られ、我が国の天然物化学のレベルアップに貢献してきた。
 生物が生産する物質の不思議さを解き明かしたいという知的好奇心は、天然物化学の原点であるので、次世代を担う若手研究者には、「物質を手掛かり」として、生物の不思議さを解明する研究に挑んで欲しい。

本文

 1964年は、小学生だった私にとっては東京オリンピックに興奮した年だったが、天然物化学者にとっては、伝説となっている第3回IUPAC天然物会議が、京都で開催された年だった。平田(名古屋大学)グループ、津田(東京大学)グループ、そしてWoodward(ハーバード大学)の3グループが、複雑なアルカロイド化合物であるテトロドトキシンの構造決定を報告したのだった。聴衆は固唾を飲んで発表に聞き入り、最終的に、3グループの提出した構造が一致していることを称賛した。
 日本における近代科学の多くは、明治政府が招聘した外国人教師によって導入されたが、海外で研鑽を積んで帰国した、長井長義(1845 – 1929年、日本薬学会初代会頭)、鈴木梅太郎(1874 - 1943年、日本農芸化学会初代会長)、眞島利行(1874 - 1962年、有機合成化学協会初代会長)らによって、日本(東洋)の生物材料から化合物を抽出、合成するという独自の天然物化学が確立された。その後、学部の枠を超えて天然物化学の研究成果を議論する場として、天然有機化合物討論会(1957年に名古屋で第1回、2022年に静岡で第64回)が発足し、日本の天然物化学のレベルアップに貢献してきた。本討論会の演題を見ると、我が国の天然物化学の潮流を知ることができる。発足当初は、新規化合物の単離、構造解析に関する演題が大多数を占めていたが、1970年頃から化学合成関連の演題数が優位になり、最近では生合成研究が増えている。
 玄米食の人は脚気になり難いことに着目して米糠からオリザニンを単離したり、成長が速いタケノコに着目してジベレリンを単離したりと、新規化合物の発見には、「目の付け所」が重要である。昨今、合成や作用機作の研究対象として注目される化合物の単離が少ないことを危惧する。構造解析は言うに及ばず、化学合成にしても生合成にしても、研究対象として興味を惹く化合物がなければ始まらないので、「物取り屋」の活躍に期待したい。
 字数の制限があるので、植物や海洋生物などが生産する化合物に言及できないが、ここでは、筆者の専門である微生物由来の生物活性物質に関してのみ触れる。抗生物質研究では、Fleming(1945年)、Waksman(1952年)、大村智(2015年)らがノーベル賞を受賞しているが、1970年以降、実用化された抗生物質の数は激減した。しかし、抗生物質研究で培った方法論は、その後の、タクロリムスやスタチンなどの発見、開発に活かされている。単なる数の勝負と思って漫然とスクリーニングしたのではなく、生化学や分析化学など広範な知識を統合してスクリーニングを行ったことが、新規物質の発見につながった。ユニークなスクリーニング系で見出された化合物は、薬として実用化はされなくても、ツニカマイシンやスタウロスポリンのように生命現象の解明に役立っている。
 新しい化合物の発見は、天然物化学の出発点であり醍醐味でもある。新規化合物は、実用化されるか否かに関わらず、その後に、化学合成、生合成といった新しい展開が期待できるし、さらには、生物現象の不思議さを解き明かすという謎解きに迫る天然物化学も展開できる。天然物化学は、「分け入っても分け入っても青い山」のように生物が存続する限り、次々に新しい疑問が湧き、それに対する発見が期待できる学問だと信ずる。


          (ファルマシア、58巻、12号、2022年 「オピニオン:天然物化学の潮流」より)

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