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長幼の序

                          静岡県立大学薬学部 長田裕之

 菅敏幸教授(菅さんと呼ばせて頂く)と、いつ頃から知り合いになったのか明確な記憶はないが、1993年に私がサントリー生物有機化学研究所で講演した時かもしれない。彼は、誰に対しても親しみを込めて「さん付け」で呼んでいたが、最初にお会いした時に私が講師役だったためか、親しく接するようになってからも、彼は、私を「長田先生」と呼んでいた。
 私が有機化学系の学会に参加し始めたのは40歳を過ぎてからで、オールドルーキーだった。上村大輔先生が代表を務められた特定領域研究「未解明生物現象を司る鍵化学物質の研究」(1999-2003)に入れて頂いたおかげで、多くの有機化学者と知り合いになることができ、菅さんとも会う機会(飲む機会)が増えた。学会や班会議の後の懇親会では、重鎮の先生方を中心にした小さな輪があちこちにできていたが、新参者の私は、その輪に入ることができなかった。そんな時、菅さんは、誰とでも楽しそうに話をしていて、私にも親しく話しかけてくれた。
 私は、2002年に東広島で開催された日韓天然物談話会に招待されたが、菅さんは主催者の中心人物の一人だった。合宿形式の会で、昼間の勉強が終われば深夜まで飲み会が続くハードな会だった。勉強内容は何も覚えていないが、菅さんと毎晩飲んでいたことは覚えている。菅さんと話をするのは、飲み会の時ばかりだったが、6年ほど前から共同研究を始めた。2013年に私たちはピロリジラクトンを単離したが、その絶対立体化学は未解明のままだった。菅さんたちは、以前、ピロリジラクトンと構造が類似しているUCS1025Aの合成に成功していたので、私から菅さんにピロリジラクトンの合成を依頼した。2019年に「デカリン化合物の化学合成と生合成」と題する理研シンポジウムを開催し、私は、菅さんを講演者の一人として招待した。彼には、「UCS1025Aとピロリジラクトンの合成研究」という演題で素晴らしい講演をして頂いた。当然、懇親会では、楽しく杯を交わしたが、その後はコロナ禍のため、一緒に飲んだのはこれが最後となってしまった。
 2021年4月に上村先生がお亡くなりになったので、上村先生が代表世話人だった新規素材探索研究会は閉会することになった。菅さんが実行委員長として、6月に最後の研究会がZOOMで開催された。私の特別講演の座長を菅さんが務めてくれたが、お互いに懇親会で飲めないのを残念だねと話した。ちょうどこの頃、渡辺賢二教授(静岡県立大学)が私を県大の特任教授として招聘してくれる話が進んでいたので、菅さんに「私が静岡県大に着任したら一緒に飲もうね」と約束した。ところが菅さんは私との約束を果たさず急逝してしまった。彼は、私に対しては長幼の序を保っていたのに、肝心のところで順番を守らず、私より10歳も若いのに先に三途の川を渡ってしまった。



                (菅敏幸教授追悼集:令和5年5月発行、菅敏幸教授追悼記念事業会編)

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